よくある話をしよう。
どこにでもいる女の子の話。
世界にたった一人の君の物語。
愛することを知り、愛されることを知った物語。


明日死ぬかもしれない。でも、生き急がない
それが私の生き方

恋せよ乙女。愛せよ乙女。001 #エッセイ

あれは中学校1年生 3学期の終業式。

とても暖かい日差しの日で、終業式は午前中で終了。明日から春休み〜!

部活動も休みだったこの日、ついにあゆむは彼氏ができる。

 

「放課後1年6組に一人で行ってきて〜」

部活仲間の菜々から突然言われた。

「1年6組に?なんで?」

「いいからいいから〜」

ニヤニヤ顔でそう言う菜々に、もしや?と思ったあゆむ。

 

私は1年5組やし、6組って菜々のクラスやんな。なんなんやろ?

・・・え!?

まさかの告白!?

いやいや、そんな漫画みたいなことあるわけないでしょ。

でも誰が待ってるんやろ。。。

 

 

 

 

ドキドキしながら6組の扉を開けた。

そこには男の子が1人。

 

 

これ、やっぱそうやんな。

ついにきた!うわ〜緊張する〜

中学生になっていつかあるかな〜そんな夢みたいな話あるわけないかって思ってたけど

【放課後】【誰もいない教室】【呼び出し】

きゃーーーーーー///////

心のなかで1人で喚くあゆむ。

 

開けた扉を閉めて、教室の中へ進む。

うつむきながら少し目線をあげて男の顔を見たけど初めてみた顔。

目がくりくりっとしてて、人懐っこそうな表情。髪の毛をツンツンさせて少しやんちゃ風な感じがする。

こんな男の子隣のクラスにいたんや。

「夏見さん、来てくれてありがとう。突然でゴメンな。」

彼が喋り始めた。

「ううん。なに?」

「うん。あのな………隣のクラスでずっと気になってて……その、僕と付き合ってくれませんか。」

「え?」

「急でびっくりするよな。今すぐに返事とかじゃなくていいから、また考えてくれる?考えて返事ください。」

「あっ、うん。わかった。」

「じゃあ僕行くわ。ありがとう。」

「うん。…ありがとう」

 

あゆむを横切り、彼女を一人教室に残して立ち去った彼。

扉が静かに閉まると同時に、彼女は止まっていた思考が一気に動き始めた。

 

え!?やっぱ告白やったやん!うわー緊張した!

てかさっきの子名前なんやったんやろ。聞きそびれちゃった…

どうしよう。全然知らん子やし、付き合うとかどうとか分からへん。

何から考えたらいいの?ひょえーーーーー。

 

返事をどうしたら良いのかも分からないまま、いつも一緒に帰っている菜々達が待ってくれているのかも気になる。

とりあえず教室から出ようと思った矢先、教室の扉が再び開いた。

 

「あゆむ〜、どうやった?羽田なんて言ってた?」

「さっきの彼、羽田くんっていうんや。うん、なんか付き合ってくださいって告白された…」

「ひゅー!!!で、あゆむはどうすんの!」

「どうすんのも何も、羽田くんのこと知ったの今日が初めてやし、そんな私好きとかでもないから……。付き合うのとかできひんと思う」

「え!断るん!?」

「うん」

「ん〜。羽田うちの友達やしさ、今日セッティングしたうちも気まずいやん。うちのメンツもあるし付き合ったってーや」

「!?????? そうやって付き合うもんなん?」

「付き合ってから好きになるかもしれへんしさ。あゆむ、今好きな人おらへんのやろ?」

ドキッ…

「好きな人はおらへんけど…そんなんでいいんかなぁ。」

「大丈夫大丈夫!そしたらうち羽田に返事しといたげえるわ〜」

そう言って教室から出ていった菜々。

 

えええーーーーーーっ!?

昔から意見の強い菜々は仲良しグループのリーダー格で、彼女にはなんとなく逆らえないというか勢い負けするというか…

仕方がない。試しに付き合ってみるとするか…。

大丈夫なのかなぁ…

 

 

 

 

 

こうして想像もしていなかったストーリーで初めての彼氏をゲットしたのであった。

果たして、羽田のことをあゆむは好きになるのか…?

 

 

 

恋せよ乙女。愛せよ乙女。エピローグ #エッセイ

これは私の記憶の中のお話。

少女漫画のような恋に焦がれて、いつかそんな素敵な恋愛をしたい。

そう思っていたけれど、現実はそんな単純なことばかりじゃない。

 

中学生にして結婚とは何かを悟り、

恋人探しは常に「この人と結婚しても大丈夫なの?」というアラサーのような軸で選ぶ。

 

彼氏ができるたびに「なんかいつもおんなじようなタイプやな」と言われ続けた。

それでも私は良いの。

 

だって失敗したくないじゃない?

 

私は幸せになりたいだけ。

愛されたいだけ。

 

 

 〜エピローグ〜

 

 

主人公は夏見 歩(なつみ あゆむ)

どこにでもいる13歳の中学1年生。

学校にも馴染んでそれなりの生活を送っていた私に彼氏ができた!

もうすぐ2年に進級するタイミングで。

 

お相手は隣のクラスの健(けん)くん。

どんな人かというと・・・実はまだ知らない。

というか、どこに住んでいるのかも、名字も知らない。

 

なんで付き合ったの?

彼氏のことが好きかどうか?

それは・・・正直わからない。

 

だって、あんな流れで断れないじゃん・・・

それに私は失恋したばっかりで・・・

 

 

この3年で変わったこと

気づけばあっという間に3年が経ってました(笑)

3日坊主もいいところですね。

私もたいがいの面倒くさがりでした。

 

書くことはとても好きだけれども、好きすぎて各場所が多すぎるのが問題。

1:3年日記

2:子育てダイアリー

3:Facebook

4:ブログ

 

正直1でさえも毎日書ききれなくて、まとめて書く日も多いこと。

継続は力なりって言うけれども、本当に継続することの大変さを思い知る。

 

3年日記は私が21歳のときから書き始めたもの。

この3年めっちゃ内容が濃くてそれはそれは読み返したら恥ずかしい日々の連続。

でも、過去の自分がそこにいて、過去の自分の悩みまくっている姿がそこにあって、

読み返すのはだいたい1年後やけど1年も経てばたいていその悩みは解決をしてるわけ。

 

そして気づくのよね。

当時は人生の岐路!っていうぐらいそれはもう大層に悩んでいたのに

過ぎ去ってしまった今となっては「かわいい悩みやったなー」って思うこと。

 

私は過去の自分から学ぶわけ。

そこらのエッセイや周囲から言われる「時間が解決してくれるよ」とか

「なんとかなるよ」の言葉は全然言葉に染み込まないのにね。

自分が乗り越えてきたことはちゃんと体に刻まれていくし、飲み込まれていく。

過去の自分は偉大なる先生でありパートナー。

 

3年日記について触れるついでに、3年日記の宣伝も。

私は、いま、毎日幸せに生きているのだけど、その幸せに気づかせてくれたのも3年日記。

 

仕事をしていると毎日毎日同じことの繰り返しで。

朝起きて、仕事に行って、失敗したり嬉しいことがあったり、そして家に帰って、寝る。

起きたらまた朝がやってくる。

 

だんだん単純な日々に慣れていくし、退屈もするし、ありがたみとかも薄れていくわけで。

そして私は嬉しかったことよりも失敗したことや怒られたことのほうが頭に残るタイプで。

 

せっかくのHAPPYなエピソードも忘れちゃうから仕事のモチベーションも下がってしまう。

だから、あえて今日の嬉しかったことを日記に書くようにしたのよね。

今日あった出来事とかよりも、それによる自分の気持とか、変化とか。

そんなことを書く。

あと、すっごくしょうもないことも書く。

そうすることでどんどん記憶を記録していく。

 

1年経った頃、去年の今日は何してたのかな〜と思って日記を読むと

「あーこんなことあったな」とか

「私これにハマってたわ!」とか

「今も大して変わってないなー」とか

比較したり、思い出したり。

 

比較対象が自分だからどちらかというと成長実感もできるし、

変化していないことも受け入れやすくて。

 

 

 

過去の自分にすごく励まされてる気分にもなれるのよね。

不思議と。

 

 

だから止められなくて(笑)

3年日記が終わると、次の3年が恋しくなるっていう。

 

確かに毎日の記録は面倒くさいんだけど。

1週間ぐらいまとめて書いちゃうときもあるんだけど(思い出すのに必死w)

 

でも私の、私だけの、バイブルになってくる。

3年日記の魅力です。

 

 

 

自分に自身がないとき。

自分の変化に気づきにくいとき。

幸せを実感していないとき。

人生の岐路を迎えそうなとき。

 

どんなタイミングでも、それはあなたの記憶を記録する絶好のタイミング。

ぜひ始めてみてください。

 

 

 

 

 

ただ、3年日記の難点は、ほとんどの3年日記が1月1日始まりだということ。

自分のペースで始められへんやんけー!笑

 

今年ももう12月です。

あと1ヶ月もすれば1月1日。

タイミングいいかもしれませんね。

 

 

新しい3年を過ごしましょう。(誰)

 

 

 

 

ちりこ

帰ってきて気付いたこと

こんばんわ。

ニート生活がいつの間にか2ヶ月と3週間ほど経ってしまっていたちり子です。

 

時間が経つのってびっくりするくらい早いですね。

この2ヶ月の間に、FPの3級を受けました。

今は結果待ちです。

 

縁あって、FPの人と会話する中で、自分自身がお金に関する知識が欲しいと思ってのことでした。

知識を持っていることは、生きる選択肢を増やします。

結果をふまえて2級にも取り組みたいと思っています。

 

あとは、ネイルスクールに来週から通います。

自己投資をようやくすることに決めました。

将来ネイリストになりたいわけではない。

 

でも、自分で生きていける力を身に付けたい。

そう思ったときに、将来自宅開業で寺子屋をするときに

子どものママパパ達にできるんじゃないかなぁって。

 

塾と、ネイルサロンとお金の相談窓口があるってすごくない?

教育と余暇と人生設計ができちゃうんだもん。

 

ネイルもまずは3級からとるけど、級数はあげていきたいな。

 

さて、前置きが長くなったけど、

タイトルの件に触れたいと思います。

 

帰ってきて、父や母とゆっくり過ごす時間がとても増えました。

改めて思うのはたくさんの愛情を注がれてきたんやなぁということ。

そして、守られてきたんやなぁ、ということ。

 

この2つは本当に肌に染み込んでいるんじゃないかってくらい

感じている。

 

それ以上に、

「あ、私ってお父さんにもこんなにも似てたんやな」

と感じることがとても増えました。

 

きっとお父さんのことそんなに知らなかったから(笑)

 

お父さんはとにかく新しいもの好き。

そして行動がとにかく早い。

そして変化を恐れない。

 

愛車のソリオを買ったら、ソリオ同好会ならぬものをネットで検索して入会。

愛知県の岡崎やら兵庫県の三田まで集会に顔を出す始末。

 

家にニホンミツバチがいると分かったら

これもネットで検索して貴重性を確認。ミツバチの引越しをして

はちみつ屋さんを目指す始末。

(プロにミツバチのお引越しを依頼して、見よう見まねで同じ工具を作るという笑)

 

日常では、サラリーマンで、兼業農家をしているのだけれど

現状に満足することなく楽しみを見つけるのが上手。

 

そして、やらなきゃいけないことややった方が良いことを

楽しむことが上手。

 

何よりも巻き込むことが上手。

 

うちの母は父とは正反対の性格をしているので

面倒臭がりで、文句の多い人(笑)

この母を一緒にさせるのだから、父はむしろ図太い神経の持ち主なのかもしれない。

 

ここまで書いて、私は父に似ているというよりも

父に憧れているんだと思う。

 

 

私は新しいもの好きだけど、一歩を踏み出すのがとても遅い。

でも父はすぐに行動を起こす。

 

「やってみなきゃ分かんないよね〜」

「失敗、失敗!次は改善や!」

 

なんてポジティブなの。笑

 

姉2人に比べて割とアクティブなのは、姉の反面教師と思っていたけど

そんなことない。

私はこんなにも父の影響を受けていたのか、と驚き。

 

 

60歳を目前にしても、やりたいことを見つけて

挑戦する父の姿はとても頼もしく、かっこいい。

仕事を失っても、この人は人生の楽しみ方を知っている!!!

 

そんなかっこいい大人になりたい。

 

 

あ〜、お父さんの娘で良かった。

ブルゾンちえみ風にどうぞ)

 

 

 

ちりこ

働く場所と住む場所と死ぬ場所

こんにちわ。

 

ニート生活6日目のちりこです。

(有休消化でずっと休みでしたが、6月末が退職日だったので)

 

先日友人とご飯に行った時のことを書いておきます。

 

昨今の就活生は「転勤のない仕事を選ぶ」「仕事より家庭だ」の

指標が随分と高くなっているようです。

 

それってなんでなんやろう?

やっぱり、「新しい出会い」よりも「つながり」を

大事にする傾向があるからでしょうか。

 

1991年生まれの私たちは、ゆとり世代と言われていて

それよりも後はさとり世代と言われ、一番新しい世代は一周回って

つくし世代と言われていることを本で知った。

 

つくし世代が大事にするのは「共感・共有」と「サプライズ」

これらはどちらも「つながりの継続」によって生まれるものな気がする。

 

さらには高学歴と言われる女子たちの最近の就職先は

「転勤ありの総合職」ではなく、「転勤無しの一般職」である。

 

実際に私の友人も、総合職を選んだ女子よりも

地域に留まる仕事を選んだ人の方が多かった。

 

理由は、ゆくゆく結婚・出産をしたときに

転勤のない仕事であることの方がメリットも大きく

その会社で働き続けることができるから、というもの。

 

 

 

普通に納得。

 

 

さて、それも踏まえて本題。

働く場所=住む場所になるけれども

転勤族の場合、身内が近くにいないことが往往にしてある。

 

子育ては保育園や病児保育などを使えばなんとかなるかもしれない。

それは「看てくれる人の代わり」がいるからである。

 

では、子育てが一段落した時の介護はどうだろうか。

介護の場合、女性であれば(おばあちゃんであれば)

「看てくれる代わりの人」がいる施設に入居することは比較的容易である。

 

一方で男性(おじいちゃん)の場合が実は困難となることが多い。

というのも、男性は「家」を大事にしてきていることが多く

「死ぬときは家がいい」「家にいたい」と言うことが多いのだ。

 

また、プライドの高さから自分の身辺のことが「できない」ことを

認めたくない気持ちが大きくなるため

家にヘルパーさんなどを入れたがらない。

 

何が起きるかと言うと、

「看てくれる代わりの人」を拒否するのだ。

 

(子どもでも拒否をすることはあるが、

 時間の経過の中で「慣れ」が解決してくれることが多い)

 

となると、ハードルが高くなく看れる人=身内となると

身内が近くに戻ることが条件となってしまう。

 

結果、転勤族の場合は仕事を辞めて近くに戻るか

在宅勤務制度などを利用するしか仕事を継続して看ることが

困難極まりないことになってしまう。

 

これは女性だけではなく、男性の問題でもある。

 

 

企業都合で人が働くことは困難になることを

いつ、企業は気づくのか。。。

 

 

 

<自分への約束>

起きた事象の意味合いに対して「なぜ?」を繰り返して考える

 

遺影の写真

 

志づゑさんが亡くなった。

 

私のおばあさんの一人。

おじいちゃんのお姉さん

独身で病院で息を引き取られた。

 

 

志づゑさんは、私が覚えている限り無口で、物静かな人だった。

というより、会話をした記憶がない。

 

何かを話しかけても「あぁ」と小さく答えていただけで

食べて、寝て、食べて、寝て、、、それを繰り返すだけの人。

 

享年96歳。

 

ずっとお家の中にいた人で、知り合いが外にいるわけでもなく

おじいちゃんのご兄弟と、私の家族だけでの葬儀だった。

 

 

病気だったらしい。

おじいちゃんに「志づゑさんはどうして物静かだったの?」と聞くと

「若いときに頑張りすぎたんや」と返事。

 

心の病気だったらしい。

 

失語症だったのかな?

今はもう分からない。

 

 

言葉を失い、家族以外と交わることもなく

96歳まで生きて亡くなられた彼方。

 

 

一体、どんな人生だったのでしょうか。

何をずっと感じていたのでしょうか。

何を感じていたのでしょうか。

 

 

家族に迷惑をかけることもなく、静かに息を引き取られた彼方。

言語と一緒に喜怒哀楽もなかったように見える彼方の人生は

一体何色だったのでしょうか。

 

 

遺影の写真は口一文字に閉じている写真。

96歳になったときのお誕生日に撮っていただいた写真。

 

おじいちゃんにいくつの時撮った写真なん?って聞いたら

「あれは93歳の時の写真や」って返ってきたけど(笑)

 

めっっちゃ嘘つくやんwww

 

ってお母さんと微笑ましく聞いてました。

 

 

私が滋賀に帰ってきて一緒にご飯を食べ始めてから

おじいちゃんは少しだけよく喋るようになった。

 

お風呂にも入ってくれている。

 

少し、生活を取り戻してくれている。

 

 

おじいちゃんの目標は100歳らしい。

あと7年ぐらいあるね。

 

 

 

<自分への約束>

痛みを感じられるのは生きている証拠。

喜怒哀楽を思う存分に感じて毎日を生きていることを実感する。

 

いつまでにそれをやるの?

最後の出社から2週間が経ちました。

 

 

6月は何もしないと決めていたので、

のんびりと過ごしていると、不思議とスローライフに慣れてくるんですね。

 

仕事をしていた日がもう懐かしいです。

 

毎日仕事をして、仕事をするためだけに名古屋に住んでいる。

そんな日々が懐かしい。

 

大好きな上司と仕事終わりに飲みに行くことももうない。

お酒を飲みにきたのに、話の内容は基本的に仕事のことで。

どんだけ仕事好きやねんって改めて思いました。

 

やりたいことがたくさんあって辞めましたが、

いざ辞めると、いつこれをやろう、というのが決まりません。

 

その時、はっとした。

 

「いつまでにそれやんの?」

 

週に1回のレボでいつもこれを聞かれていて、

自分でも、いつまでにやるって決めていたこと、思い出しました。

 

 

自分の描いたことを「いつまでにやるのか」デッドラインを決めること。

これはとっても大事です。

 

物事をきちんと進めるために

自分自身で覚悟を決めてやるために

ふと現在地を確認できるようにするために

 

 

それはいつまでにやるの?

 

 

 

<自分への約束>

自分自身できちんと決めて進める。