働く場所と住む場所と死ぬ場所
こんにちわ。
ニート生活6日目のちりこです。
(有休消化でずっと休みでしたが、6月末が退職日だったので)
先日友人とご飯に行った時のことを書いておきます。
昨今の就活生は「転勤のない仕事を選ぶ」「仕事より家庭だ」の
指標が随分と高くなっているようです。
それってなんでなんやろう?
やっぱり、「新しい出会い」よりも「つながり」を
大事にする傾向があるからでしょうか。
1991年生まれの私たちは、ゆとり世代と言われていて
それよりも後はさとり世代と言われ、一番新しい世代は一周回って
つくし世代と言われていることを本で知った。
つくし世代が大事にするのは「共感・共有」と「サプライズ」
これらはどちらも「つながりの継続」によって生まれるものな気がする。
さらには高学歴と言われる女子たちの最近の就職先は
「転勤ありの総合職」ではなく、「転勤無しの一般職」である。
実際に私の友人も、総合職を選んだ女子よりも
地域に留まる仕事を選んだ人の方が多かった。
理由は、ゆくゆく結婚・出産をしたときに
転勤のない仕事であることの方がメリットも大きく
その会社で働き続けることができるから、というもの。
普通に納得。
さて、それも踏まえて本題。
働く場所=住む場所になるけれども
転勤族の場合、身内が近くにいないことが往往にしてある。
子育ては保育園や病児保育などを使えばなんとかなるかもしれない。
それは「看てくれる人の代わり」がいるからである。
では、子育てが一段落した時の介護はどうだろうか。
介護の場合、女性であれば(おばあちゃんであれば)
「看てくれる代わりの人」がいる施設に入居することは比較的容易である。
一方で男性(おじいちゃん)の場合が実は困難となることが多い。
というのも、男性は「家」を大事にしてきていることが多く
「死ぬときは家がいい」「家にいたい」と言うことが多いのだ。
また、プライドの高さから自分の身辺のことが「できない」ことを
認めたくない気持ちが大きくなるため
家にヘルパーさんなどを入れたがらない。
何が起きるかと言うと、
「看てくれる代わりの人」を拒否するのだ。
(子どもでも拒否をすることはあるが、
時間の経過の中で「慣れ」が解決してくれることが多い)
となると、ハードルが高くなく看れる人=身内となると
身内が近くに戻ることが条件となってしまう。
結果、転勤族の場合は仕事を辞めて近くに戻るか
在宅勤務制度などを利用するしか仕事を継続して看ることが
困難極まりないことになってしまう。
これは女性だけではなく、男性の問題でもある。
企業都合で人が働くことは困難になることを
いつ、企業は気づくのか。。。
<自分への約束>
起きた事象の意味合いに対して「なぜ?」を繰り返して考える