よくある話をしよう。
どこにでもいる女の子の話。
世界にたった一人の君の物語。
愛することを知り、愛されることを知った物語。


明日死ぬかもしれない。でも、生き急がない
それが私の生き方

遺影の写真

 

志づゑさんが亡くなった。

 

私のおばあさんの一人。

おじいちゃんのお姉さん

独身で病院で息を引き取られた。

 

 

志づゑさんは、私が覚えている限り無口で、物静かな人だった。

というより、会話をした記憶がない。

 

何かを話しかけても「あぁ」と小さく答えていただけで

食べて、寝て、食べて、寝て、、、それを繰り返すだけの人。

 

享年96歳。

 

ずっとお家の中にいた人で、知り合いが外にいるわけでもなく

おじいちゃんのご兄弟と、私の家族だけでの葬儀だった。

 

 

病気だったらしい。

おじいちゃんに「志づゑさんはどうして物静かだったの?」と聞くと

「若いときに頑張りすぎたんや」と返事。

 

心の病気だったらしい。

 

失語症だったのかな?

今はもう分からない。

 

 

言葉を失い、家族以外と交わることもなく

96歳まで生きて亡くなられた彼方。

 

 

一体、どんな人生だったのでしょうか。

何をずっと感じていたのでしょうか。

何を感じていたのでしょうか。

 

 

家族に迷惑をかけることもなく、静かに息を引き取られた彼方。

言語と一緒に喜怒哀楽もなかったように見える彼方の人生は

一体何色だったのでしょうか。

 

 

遺影の写真は口一文字に閉じている写真。

96歳になったときのお誕生日に撮っていただいた写真。

 

おじいちゃんにいくつの時撮った写真なん?って聞いたら

「あれは93歳の時の写真や」って返ってきたけど(笑)

 

めっっちゃ嘘つくやんwww

 

ってお母さんと微笑ましく聞いてました。

 

 

私が滋賀に帰ってきて一緒にご飯を食べ始めてから

おじいちゃんは少しだけよく喋るようになった。

 

お風呂にも入ってくれている。

 

少し、生活を取り戻してくれている。

 

 

おじいちゃんの目標は100歳らしい。

あと7年ぐらいあるね。

 

 

 

<自分への約束>

痛みを感じられるのは生きている証拠。

喜怒哀楽を思う存分に感じて毎日を生きていることを実感する。